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■資料:余市町指定文化財「開村記念碑」【再】アップ

余市町指定文化財「開村記念碑」の資料です

2012年にアップしている資料の再アップです

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■資料:余市町指定文化財「開村記念碑」

余市町指定文化財「開村記念碑」1
裏側です(文字はかなり消えています。下の資料に解説があります。)
余市町指定文化財「開村記念碑」2


店にて、余市町作成の資料を配布しています。

取りに来れない方用に、スキャンしました。
保存される方は、右クリックして保存して下さい。


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以前の資料で2枚目が欠損しているとの指摘がありました

申し訳ありませんでした

表紙含めて画像は8枚です


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露店始まりました!

あいにくの雨模様で、天気も不安定すが、2019年の売店(露店)が始まりました

年号は変わり、バイパスも余市まで延びましたが、店の様子はあまり変化していません

今年は、果実野菜全体が、若干早めの成長をしている様子です

さくらんぼ、りんご、両方が7日早いと言う事です

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とうきび(生、塩茹で)は、早霜、強風などもありまして予定通りとは行っていませんが

ハウス物で7月10日頃、トンネル栽培で7月下旬、露地物で8月からを予定しています

今年も、どうぞ、よろしくお願いします





スペース無しでも、どこでも作れるDIY「牛乳パック栽培」の勧め #牛乳パック栽培

5月だというのに、急に暑くなりました

これが噂のポールシフトか!南へ移動中?

などと突っ込みながらも、朝の畑も猛烈に熱いですね


地温も急上昇で、野菜の種の発芽が早くなりました

今年も、とうもろこしの「恵味(めぐみ)ゴールド」の定植に忙しい日々が続いています

他にも枝豆(クラカケ)や、カボチャ(みやこ、坊ちゃん)なども定植しています

畑を持っていなくても、身近な物で小スペースで手軽に栽培するのに最適なのが

牛乳パック栽培」だと思います


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まずは、牛乳パックを洗って乾かして、半分に切ります

横全体に半分でも良いですし、根が長くなるのは長いまま使うと良いですよね

目打ちなどを使って、下に空気穴を開けます


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これは、ツルハの14Lで188円(税別)の培養土です

使用する培養土は、最初は、安いもので良いかなと思います


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収穫が近くなると、テンションが上がりますよね

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鉢でも良いですよね

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水遣りには、取っ手のついたペットボトルのふたに穴を開けたのが使えました

ふたを開けて水を入れたら、出来上がりです


種は、栽培しやすくて収穫の早いものがお勧めです

ベビーリーフ、リーフレタス、サンチュ、ラデッシュ、水菜、50日ホウレンソウとか

スプラウと系や、カイワレ大根、バジル、ロケット、青シソも良いですよね

後は、花とかも楽しいですよ


いつでも、どこでも、季節も関係なく出来ますし

何よりもスペースが少しでも、ベランダでも台所の窓辺でも出来るのが良いですよね

暑い中、家庭菜園に出かけなくても、楽しめるのかなと思います


暑い夏が、早々と始まってしまいましたが

水分補給を忘れずに、くれぐれも熱中症には気をつけてお過ごし下さい

最近の出来事~予定シリーズが頓挫してしまいました。それと、ご近所のりんご屋さんの廃業が続いていますが・・・

毎年、ストーブリーグ中にルーティンにしていた、余市関連シリーズなんですが


ちなみに、昨年は、これでした

戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ 2018年2月にまとめました
http://kitakazoku.jp/yoichi/aidu_boshin2018.html


一昨年はこれでした

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで ~ 2018年11月にまとめました
http://kitakazoku.jp/yoichi/fuji-complete.html



今年は、以下の予定でしたが

本田正靖先生の「毛利さんの『宇宙授業』~母校の応援と子供たちの感動記録集~」

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1992(平成4)年に、スペースシャトルのエンデバーから、余市黒川小学校の生徒と「宇宙授業」をした記録です

この中には、毛利衛さんの宇宙授業の事前の勉強会などの下りもあって

ニュートンのりんごの木の話や、宇宙トマトの企画など、余市の果樹に関する話題も多かったわけですが

昨年、毛利衛さんが、余市へ帰郷して講演会が開催されましたので

次はこれを書きたいと思っていたわけですが


家族の体調不良やら、入院やら手術やら何やらで、気がついたら4月という事で

とうもろこしの芽出しや、野菜苗の育苗などが入ってくるので、無理かなぁと言う事で

残念なのですが、また時間がある時にでも書けたら良いなと思っています

申し訳ありません


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昨年から今年にかけて、りんご屋さんの廃業が続いています

ほとんどが、後継者不足なんですけど

廃業されるという事前の情報が無かった事で、新規のお客様が増えましたが

思ったように対応ができていません

失礼があるかも知れませんが、他のお店のやり方を知らない状況ですので

ご了承下さい



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A先生に戴いた九州の日本酒(ミニサイズ)、いろいろあるんですねぇ

いつもお心遣い戴いて、ありがとうございます!

りんご物語・・・30・・・「余市りんごの歴史」その3~民間初のりんごが結実~「りんご侍」と呼ばれた会津藩士たち

戊辰戦争で敗れた旧会津藩士が、余市に移住したのは明治4年です

その旧会津藩士が、明治12(1879)年、ここ余市町で民間初のりんごの実を結実させました

明治12年、台風が余市を襲い多くのりんごの実が落下する中、赤羽源八氏と金子安蔵氏の樹に嵐の中でわずかに残った実が結実します

初めて結実したりんごに「国光(こっこう)49号」と「緋の衣(ひのころも)19号」という名前がつけられました

「緋の衣」りんごの色は、幕末に会津藩が京都守護職にあった際に孝明天皇から下賜された「緋の御衣」と同じだったのです

隊長だった宗川茂友氏がこう言います

「われらは皆、りんご侍だな。刀を捨てて戦も忘れていても、りんごの栽培では我らの勝ちだ。」


りんごの実の結実によって旧会津藩士は、朝敵・逆賊の汚名を返上し「りんご侍」と呼ばれるようになりました

りんご侍の努力が、余市をりんごの名産地として作ったわけです


最後の1本となった「緋の衣」の樹は、吉田観光農園にあり、先代の吉田清亥氏から吉田初美氏へと引き継がれ、平成12年に会津へ里帰りします

そして、平成17年に「会津平成りんご研究会」によって50本以上に増え、ついに収穫されました

会津に戻ることが出来なかった旧会津藩士の士魂は、りんごの結実によって、百年以上の時を越えて故郷に帰りついたのです

(森山祐吾著「りんご侍と呼ばれた開拓者」より抜粋)


吉田観光農園の緋の衣

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2011年の北海道新聞記事から

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吉田観光農園さん作成の資料から



詳しくはこちら

会津藩士物語のまとめ

戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~
http://kitakazoku.jp/yoichi/aidu_boshin2018.html


戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その9(終)
http://kitakazoku.blog6.fc2.com/blog-entry-1008.html


「台風21号」そして「平成30年北海道胆振東部地震」のダブル被害

ここ、北海道の余市町では

9月5日の3時過ぎに台風21号の暴風が襲い

その後始末もままならない翌日

緊急エリアメールで起こされると、すごい揺れが!

9月6日3時8分「平成30年北海道胆振東部地震」

という過去に経験していない震度7(ここ余市は震度4でした)の地震がやってきました

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ほどなく北海道全域が停電するという事態になってしまいました

昨夜は、真っ暗の夜を経験して、改めて電気のありがたさを実感しました

アナログも大事ですよね

ラジカセが役に立ちました

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一つだけ、良かったのは、満天の星たちが降り注ぐような様子が圧倒的だと知った事ですか

夜の8時に就寝するという奇跡的な出来事もありました

朝、目覚めると電気が復活していました



その前の8月20日の朝、落雷が原因の2時間の停電がありまして

ノートパソコンの起動ができなくなり、使用できないと言う緊急事態も発生して

決算処理で入力していたデータは飛び、バックアップ保存していなかった文書も壊滅するという悲劇も起こっていました

結局、使わずに大切に残していた「Win7」に会計ソフトをインストールして、途中までのバックアップファイルから必死に入力処理

何とか、ギリギリラインで、決算提出に間に合うという、奇跡かも知れません。。。




台風21号の暴風で、収穫間近の果実は大きな被害を受けてしまいました

りんごは、半分程度が落下や傷がついたものと思われます

被害状況の確認をと思っていて、地震と停電があったため、詳細は不明です

ハウス倒壊もあり、果樹は根から倒れ、枝も折れています

出荷をと思っていた生産者さんは、停電による流通の停止で、ほとんどが廃棄となりました

トマトなども、市場が休業、農協が受付停止なので、どうしようもありません

残念無念です


廃棄の「すずあかね」イチゴ

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宅配も荷受中止となっています



ずいぶんと、更新しないまま過ぎてしまいましたが

今度こそ、まめに更新できると良いなと思っています

春と夏の分岐点~山はまだ雪景色だけど、季節は初夏です。今年は干ばつになる?


6月に入ると、北海道でも衣替えの季節ですね

余市神社祭りを境にして、夏服への衣替えになるのが普通なので

余市町民は、いつもお祭りが春と夏の分岐点に感じるんですね


冬は通行止めになっているニセコの山道も、6月1日に開通となります

(鮎やヤマベの解禁も、6月1日です)


さっそく、「根曲がり竹」を採りに!

と思ったら、五色温泉のお花畑への道の周辺は、まだまだ雪がいっぱいでした

結局、ワイスまで戻ってタケノコ採り続行ですが、ここも上の方は雪で行けませんでした

今年の冬の積雪量が、どれほど多かったのかが分かります

収穫後

煮る前に皮を削ぐ

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十分に煮る

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皮を剥いて水さらし

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この後、瓶詰にして保存します



今年の冬は、余市では珍しく氷点下20度以下になりました

そのため、一部「さくらんぼ」の樹が凍傷に合い、花芽がやられました

更に、開花時期に霜が降りたため、受粉率は低そうです

「りんご」の開花時期も低温が続いたせいか、花止まりは良くないようで中心果では無い実が残りそうです

これから「ぶどう」の開花ですが、昨年のように霜や日照不足が無い事を祈っています


今は、「とうもろこし(恵味ゴールド)」の作付に追われています

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今植えているのは、ちょうど旧盆に間に合うかどうかくらいの物で

これから、9月の収穫分を植えます



今年は、蟻が異常に多いんですよ

蟻の巣が多い年は、雨が少なくて干ばつ気味になるのが定説です


これは、お店の裏の畑です

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去年植えたアスパラですけど、半分しか生き残らなかったようです(泣)

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また今年もチャレンジしましたけど、勝手に生えて来た方が強い気がします

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あと、北の果族3号ちゃんが

昔のご近所さん地図を書いていたので貼ってみたり

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そうそう、渡部さんがくれたチューリップが、とても綺麗だった

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そんな感じで、6月がスタートです

今月末には、露店(売店)が始まります

余市へお越しの際は、ぜひ立ち寄り下さいね!

ヤマト運輸への杞憂「人手不足とコミュニケーション不足」

ヤマト運輸の人手不足で、今起こっているのは、デスコミュニケーションだと思います

かつてのヤマト運輸は、細やかなサービスが売りでした

迅速な配達と配達時間に対応し、鮮度に対応し、メール便にコンパクト化にも一番乗りでした

一番最初に始めるというのは、相当なエネルギーも必要ですし、人手も必要です

どこまでも拡大路線は続き、良い循環が訪れると、多くの人たちは考えていました

しかし、荷物を依頼するのも配送するのも人であり、受け取るのも人なのです

そこに、働く人の姿は反映されていなかったように思います

AIの導入やLINEを使うとニュースになっていますが、そのためにまた事務処理の人手が要りますよね

足りないのは、配達する人材では無かったのでしょうか?

うちの店も、ヤマト運輸の始まりの頃から40年近いお付き合いですが、良い変化とは思えません


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ヤマト運輸が、その人との繋がりを無くしているなと感じた出来事がありました



ヤマト運輸の配送料金が値上げされたのは、昨年の10月です

うちでは、その頃にクール便で荷物を出す事は、ほとんど無かったので気が付かなったのですが

暖かくなって、クール便の荷物を扱うようになって、気が付いたのは

何と、正式なお客様から戴くための「価格表」を貰っていなかった事なのです

値上げ前に「見積もり書」を戴きましたから、その金額に消費税を乗せていただけで、実際の金額が分かっていませんでした


ところが、自分たちが連絡できる手段が、以前とは違って限られているのです

集荷に来るドライバー、FAX、伝票にある大代表電話、そしてHPのお問い合わせフォームです

地元の営業所に連絡するためには、このどれかを使うしかありません

まずは、ドライバーさんに、荷物サイズと正式な価格表について聞いてみたところ

あまりに、何に反応も返って来なかったので、ひじょうに不愉快になりました

少し腹が立ちまして強く言いますと、何故かメジャーを置いて行かれましたが、そこじゃ無いのよ。。。


その後、メールフォームからお問い合わせさせて戴きましたところ

返信不要でしたが、ご丁寧な返信を戴きました

その後、対応してくれたドライバーさんではなく、別のドライバーさんが、コピーを届けて下さいました

見比べますと、自分が計算したのとは、若干の誤差が生じていました

例え、何円であっても、間違った金額を戴いていた事になったのです

今更ですが、ヤマト運輸で荷物を依頼して戴いたお客様に、お詫びを申し上げます


ここまで気が付かなかったことも、迂闊ではありましたが

ドライバーの方々は、タブレットで仕事をされていますから、間違える事は無いわけです

こちらは、人力ですからね、計算も間違える事もあるし、必要事項を忘れる事もあります

後から、情報を追加したくても、連絡先がドライバーさんの携帯では、ただでさえ多忙なのに申し訳なさすぎて困る事も多いです


実際には、一般人は、大代表とか気軽に電話できませんよ

とすると、発送依頼をした店舗やドライバーさんという事になります

残念なことに、こちらで控えているヤマト運輸の伝票は「個人情報保護」のために、住所や連絡先が見えない仕様なのです

日付と名前だけしか見えないのです

問い合わせされても、伝票番号で検索するしかできません

しかし、今の検索サイトは、本当に不可解な仕様なのです

何で、荷物が羽田にあるまま動いて無い?とか

センターまで行って無いと思っていたら、すぐに配達完了表示になったりします

途中の経緯が分からなくなったみたいなのですよ

そのため、検索したお客様から、怒りのお電話を戴くことも、あるんですよ


どうして、こうなったのかです

今まで、大切にしてきた「コミュニケーション」を捨てた?

これも、時の流れなんでしょうかね

利用する方も、それに慣れるしか無い

そんな感じ


まぁ、TOKIOのCMを継続されるようなので、世の中の事よりも自社の都合なのかも知れませんね

さすがに、4人になっても、山口メンバーが配達に来るようなイメージは消えないと思いますけど


そろそろ、アスパラの発送の季節になりました

天候に左右され、順調な出だしではありませんが、今年もよろしくお願いいたします


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余市のさくらが満開になりました! 余市は「ソーラン節発祥の地」ですが、ソーラン節の謎の掛け声~実はヘブライ語で作られている?

今朝のイチオシモーニングで紹介されたせいか

雨や風の中、田川橋の両側の堤防の満開の桜を見に来られる方が多いですね

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イチオシモーニングに、ソーラン武士は、ONちゃんおはようたいそうで出演してますね

よいち町マスコットキャラクター「ソーラン武士!!」

https://www.youtube.com/watch?v=_Z9_EiBxuLo



余市が発祥の地と言われている「ソーラン節」には、多くの謎があるのです

■ソーラン節の謎

ヤーレンソーラン~でおなじみのソーラン節は、漁師がニシンの大漁を喜ぶ時に唄う民謡です

ずっと不思議には思っていたのですが「ヤーレン、ソーラン」って何かが訛ったとか?

ソーラン節の掛け声は、実は日本語では無い?



ソーラン節 をヘブライ語で解釈する

https://www.youtube.com/watch?v=dFC9MXgPCTg


ヤーレンソーランはヘブライ語で、「ヤーレン」…喜びの唄を唄う、「ソーラン」…一人の歌い手、or 梯子

意味としては、こんな感じですか

ヤーレン=喜び歌う

ソーラン=一人の歌い手

チョイ=行進する

ヤサ、エ、エンヤー、ノ=願う

ドーケイイシュー=神の力で押しのける


余市のソーラン祭りは、何と今年で50回目らしいですよ

よさこいソーランとは、踊りも全く違いますし、一線を画しますw

ちなみに昨年、7年ぶりにパレードで山車が復活しました

ソーラン祭りオン・パレード
https://www.youtube.com/watch?v=tEd6nNmEGok




余市には、フゴッペ洞窟に古代文字で描かれた史跡があるんですよね

フゴッペ洞窟 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/フゴッペ洞窟

フゴッペ洞窟(フゴッペどうくつ)とは、北海道余市町栄町にある続縄文時代の遺跡。

余市町のHPの紹介ページ
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/syoukai/fugoppe.html

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よいち再発見 フゴッペ洞窟 Facebookより 余市観光協会一般社団法人

https://www.youtube.com/watch?v=yKOohOrJcgk

よいち水産博物館
https://www.youtube.com/watch?v=kLW6BUtUsGQ



さらに、余市には、西崎山ストーンサークルもあったりします

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西崎山環状列石
https://www.youtube.com/watch?v=imGrCOVYMUM


もしかすると、ヘブライ語はイスラエルの失われた部族に関係があるかも知れませんね

ヘブライ語は、客家(はっか)語にも共通点があるらしいですね

イスラエル人や中国の華僑なども、日本に、北海道に来ていたとすれば面白いですね



これから、果樹の開花が目白押しです

雨が多そうなので、さくらんぼの受粉が上手く行きますように祈って!

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戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その9(終)

文字色

平成27年5月に、旧会津藩士の末裔の余市町山田町在住の「吉田ひろかず」氏が作成した

「余市町の会津関係地図」

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御受書------------------------- 余市水産博物館(入舟21番地)*入館料300円*冬期閉館中

記念樹------------------------- 余市町役場前(朝日町26番地)

殉節碑/日進館跡----------------(黒川町7丁目78番地)*会津本国と同じ名前は恐れ多いと言う事で「日進館」と命名

開村記念碑/記念植樹------------(黒川9丁目58番地)

会津藩士の墓/記念樹2本松------- 美園墓地(美園町33番地)

記念樹(杉)記念樹(赤松)は、山田町にあります

緋之衣りんご------------------- 吉田観光農園(山田町7番地)*地図の作成者


この地図と同時に、「余市町における、会津藩士の足跡」という小冊子も出されています

吉田浩一さんは、会津藩士の吉田家の4代目、余市町議会議員です

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■りんご侍

吉田観光農園には、樹齢100年を超える「緋の衣」の老木が現存しています

りんごの樹の寿命は、普通40年と言われていますから、長寿です

「緋の衣(ひのころも)」は、かつて全国一になった事もある品種で、日本人が初めて栽培で結実させた品種でした

余市に移住した会津藩士は、開拓使から推奨されたりんご栽培をに挑み、明治12(1879)年、待望のりんごが初めて結実させたのです

このりんごの名前は、幕末に会津藩が京都守護職に任じられた際に、孝明天皇から下賜された「緋の御衣」と同じ色のりんごだった事から命名されたのです

この日本初めてのりんごを結実させたことから、余市在住の旧会津藩士は、「りんご侍」と呼ばれる事になりました


■ホーレス・ケプロンと「農業現術生徒」

余市へ移住しても開墾と農作業に追われ、侍から農家へとすぐに移行できたわけではありません

開拓使は、責任開墾を奨励し機械と農耕馬を導入します

更に、農作物の販売のために「余市開墾会社」を設立して移住者の定着を図りました

北海道には、すでに幕末に旧幕府の榎本軍から99年の租借地の七重で、プロシア人のガルトネルがりんごの苗を持ち込んでいました

明治政府は、明治3年11月に、この租借地契約を6万2500ドルの違約金を支払って取り戻して、開拓使官園を開きます

黒田清隆長官は、開拓専門家を招くためと農業視察で、明治3年の年末にアメリカへ渡っています

この時に、アメリカ東部で、りんごの苗木(75種類)を購入しています

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ホーレス・ケプロンが、開拓使顧問として黒田清隆の要請に応えて来道したのは、明治4年の7月(8月説もあり)の事でした

ケプロンは、北海道の開拓と西洋農業技術の導入と農業技術者の養成を提案しています

開拓使は、明治5年4月には、農業現術生徒の制度を設け、東京官園を実習所として全国から生徒を募集しています

公費で5年間の修行の後に、開拓使に勤務するという制度でした

その第1期生20人の中に、余市移住組から志願したのは、当時30歳の「中田常太郎」氏(現術1等生)がいました

他にも、静内に入植した士族の子弟などもいました

その東京官園で、ルイス・べーマーから果樹栽培を、エドウィン・ダンから家畜の餌養法や農業機械の使用法などを学んだのです

明治7年には、現術4等生に「金子安蔵」氏「東 轟」氏がいます

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エドウィン・ダンと一緒の金子安蔵氏

明治9年の札幌農学校の創立まで、東京官園で、8年「東 蔵太」「川俣友次郎」9年「木村猪和雄」「横山留三」氏が学びました

8~9年の現術生徒は、余市へ戻って農業経営に専念しています

現術生徒が余市に戻って来てから、開墾も進みました

ケプロンが、余市に立ち寄ったのは、明治6年8月21日で、一泊しています

余市側流域の農地や入植地を視察しています

ケプロンは、種や苗を供給していない事や、野菜の栽培が密植すぎる事などを指摘している


■りんごが実る

開拓使の種や苗の無料配布が始まるのは、明治8年頃でした

「かぼちゃ」「馬鈴薯」のほかに、りんごの苗446本、梨585本、杏5本でした

りんごの苗は、各農家に数十本配布されています

しかし、りんごの実など見たこともないわけですから、放置されたりしていたわけです

そこで、現術生徒だった川俣氏や東氏が、ルイス・べーマーから習った栽培から収穫までを指導して行きます

苗を移植してから、3年目の明治11年にりんごの花が咲きました

開花を見た事で期待が膨らみましたが、結実はしませんでした

翌12年、ふたたび開花し、花が散った後に小さな実が結実しました

しかし、この年は嵐が襲い、結実した成熟間近な実を雨や風が落としてしまうのです

その中で、山田村の「赤羽源八」氏と「金子安蔵」氏の樹は、嵐に耐えて実を残しました

これが、日本初の民間によるりんごの結実となったのです


赤羽源八氏のりんごを見た、総取締役の宗川茂友氏が、このりんごの色を見て

孝明天皇から恩賜された緋色の陣羽織と同じ色だとして「緋の衣」と名付けたと言われています

(宗川茂友が、この時点で余市に残っていたのか、帰郷していたのかは不明です)

赤羽源八氏の「緋の衣」が6個、金子安蔵氏の「国光」が7つと記録されています

***実際には、品種名が付けられたのは、明治33年で、当時は番号で呼ばれています

***(緋の衣は19号、国光は49号、紅玉は6号、祝は14号などです)


国光は病害虫にやられて、原木は現存していませんが、

緋の衣は、吉田観光農園から苗木が「会津平成りんご研究会」に贈られ、栽培に成功しています

余市移住の会津藩士が、育てたりんごの品種「緋の衣」が故郷に戻ったのです


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余市移住の会津藩士物語は、まだまだ続きがあるのですが

りんごの実の結実までを書いてみました


戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~前田克己著~

豆本の発行に尽力されました前田克己氏の追悼の意を込めて

会津藩士の余市移住から150年の節目に当たり記事を書かせて戴きました



<参考文献>


余市在住「会津藩士物語」前田克己
余市町史4~明治1
余市文芸42号~余市あれこれ~菅原一也
余市物語~朝谷耿三
小樽・後志の歴史
余市駅及び附近の変遷~計良幸太郎
余市町における、会津藩士の足跡~吉田浩一
北の青嵐選集~編:鈴木卓郎
旧会津藩士の足跡

ケプロンの教えと現術生徒~富士田金輔
りんごの歩んだ道~富士田金輔
りんご侍と呼ばれた開拓者~森山祐吾

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昭和12年の5月の「殉節碑」の除幕式(山田町開拓回顧録)より

右の建物が「日進館」で、左側の楡の木は平成16年に伐採されています

現在は奥の銀杏の樹が成長して殉節碑を護っている感じですね

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現在の殉節碑です


北海道に春が巡って来ました

余市町の美園墓地の丘の南面には、会津藩士の墓石が立ち並ぶ場所があります

故郷の会津若松に望郷の気持ちを持ちながら、そこに眠っています

昭和59年6月18日開拓記念碑に、旧会津藩士松平安保公の孫にあたる、当時の福島県知事で前参議員議員の「松平勇雄」氏が訪問しました

記念撮影時には、世が世であれば近づく事も出来ないお殿様がと最高齢者の水野ヒデさんは、余市まで来てくれたことに感動したそうです

この時に、記念樹として「オンコの木」を植樹しています

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松平勇雄さんは、2年後の昭和61年5月にも来町されました

その時には、水野ヒデさんが亡くなっていて、旧会津藩士の墓地も修復されたために寸暇の中墓参されたそうです


現在の開拓会津藩の出身の余市在住家(敬称略)

三宅権八郎、渡部岩三郎、小松勇三郎、水野生太郎、船橋市八、石山亀次郎、川俣与四之助、鈴木兼友、黒河内辰己、青木丑之助、佐藤駒之進、永岡長吉、東蔵太、中野新太郎、枝村伝八、永井辰治


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戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その1
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