戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その2


戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その1
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■小樽内へ上陸

旧歴明治2年9月21日、東京の品川を出港したアメリカ籍の蒸気船コユール号が目的地のオタルナイに入港した。

その船の乗客は、兵部省の井上弥吉に引率された北海道移住旧会津藩士の第1次隊の103戸332人でした。

旧歴の9月21日と言えば、新暦では11月4日、北海道は晩秋というより初冬

日本海は荒れしけ続きで食事も喉を通らなぬ者も多く信香浜に着いて蘇生した思いだったと、移住2世の川俣兵司氏が「炉辺夜話」に書いている


「オタルナイ」とは、今の「小樽市」

当時は、勝納川の河口を中心に海に平行して信香(のぶか)・勝納(かつない)が開けた所で寂しい漁村でした。

宿泊所となったのは、漁期外の鰊番屋や遊女宿、遠い蝦夷地への移民の悲哀と憤りもあったという。

第2次隊は9月30日、大阪丸で到着。資料が残っていないため108戸と推測されています。



【廃村の廃橋】オタルナイ集落跡・現地調査本編①廃橋編abandoned village with waste bridge in Sapporo suburbs

https://www.youtube.com/watch?v=i9n1kGq-3vk

文献上最初の和人入植地とされる、「オタルナイ」石狩湾新港建設等の影響で1970年台に廃村になったが、今でもその痕跡が残る。
「おたる」の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ」に由来する。しかしこの言葉は現在の小樽市中心部を指したものではない。

【廃村の廃橋】オタルナイ集落跡・現地調査本編②集落跡編abandoned village with waste bridge in Sapporo suburbs

https://www.youtube.com/watch?v=mR4SSE5uZmo

文献上最初の和人入植地であるオタルナイは、原名をタルナイといい、今の小樽市や石狩市樽川のベースになった集落です。漁業不適地ということで、漁場を求めて人が散っていき、石狩湾新港開発に伴い1970年代に廃村になったそうです。
今でも集落の十字路、メインストリートは残っていますが・・・
厳しい自然環境で、漁業にも農業にも適さない河口砂地で、交通の便も悪く、舟運をやるには川が小さく、人間が住む理由が見つからないような土地です。




■蝦夷地移住のいきさつ

慶応4年(1868年/明治元年)、会津藩の鶴ヶ城は落城し西軍が勝利、城内にいた藩士たちを、会津藩士卆として猪苗代に収容し謹慎させました

この年の暮れには東京送りとなり、西軍諸藩監視の元で引き続き謹慎の身となった

戊辰戦争の敗者といえ、会津藩士は屈強で、新政府にとっても厄介な存在だったのです

最初に信州の松代藩に移住予定でしたが、途中で松代藩から「人数的に無理」との陳情で東京に送られたのです

城の外に居た藩士たちは、越後高田藩送りとなり寺院などに分散収容されました

明治新政府は、多くの仕事が山積み状態であり、その一つに蝦夷地開拓がありました

兵部省が政府に対して出された「会津降伏人始末荒目途」の記述には、こうありました

「総人数を1万7千人とみて、そのうち1万2千人を蝦夷地へ移し、5千人を内地3万石の地へ移す。

蝦夷地にへは、巳年(明治2年)4千人、午年に8千人。移住者には家作・農具代として48万両、米7万石を支給して欲しい」

政府は、最初から旧会津藩士を蝦夷地へ送り込み、北海道開拓をさせる算段があったのだろうと思われます

若林功七の「北海道開拓秘話」では

「降伏人には国民として一視同仁から特別の寛典と便宜を与え兵部省管理として、一部を北海道の発寒・石狩・小樽に移し開拓に従事させる事にした」と書かれています

柴五郎氏によると

「自由を束縛され屈辱に日々を送るよりも、新天地での生活が出来て、旧主の罪が許されるならと、200戸近くが応じた」とあります

しかし、それは、初めから普通の移民では無かったのです


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落城後の鶴ヶ城~銃撃の後が残っている

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会津若松観光ナビのHPから

若松城 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/若松城

若松城(わかまつじょう)は、福島県会津若松市追手町にあった日本の城である。 地元では鶴ヶ城(つるがじょう)と言うが、同名の城が他にあるため、地元以外では会津若松城と呼ばれることが多い。文献では旧称である黒川城(くろかわじょう)、または単に会津城とされることもある。国の史跡としては、若松城跡(わかまつじょうあと)の名称で指定されている。



その3へ続きます



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