戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その8

旧会津藩士の資料が一番ありそうなのは「余市水産博物館」なのですが、今は休館中のため手持ちの資料を探しています


まず、計良幸太郎さんが残した資料「余市駅及び附近の変遷」から

旧会津藩士の入植と余市駅

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隊長らは、今のニッカ裏手の記念碑付近に居住し、穀物倉(後に日進館、教育所となる)

この記述から、現在の黒川9丁目に住み、道を挟んで7丁目に穀物倉があり、その裏に侍長屋があったようです

ここが藩士団の中心拠点でした

7丁目の土地は、今でも宗川茂友の長女の嫁ぎ先の「杉本」家の所有地が多く残っています

黒川9丁目から東に曲がり、登街道の両側に村ごと居住しました

余市の銀座街付近は「佐藤駒之進(白虎隊半隊頭・黒川2番村長)」

その大川町側は、「在竹四郎太(二百石取黒川4番村長)」、在竹氏は余市稲荷神社(後の余市神社の神主)の所有地

登街道踏切付近から余市駅にかけては「小栗富蔵」氏で、大正時代には貸家を建てて小栗長家と称されていたようです


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宗川茂友さん関連の本を探していて、この本が届くのを待っていたので、続きが遅れました

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りんご侍と呼ばれた開拓者 汚名を返上した旧会津藩士の軌跡 単行本(ソフトカバー) – 2018/3/1
森山 祐吾 (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/489115344X/

内容紹介

戊辰戦争に敗れ賊軍として北海道余市に移住させられた旧会津藩士たちは、苦難の末に「りんご王国」を築き上げた。
彼らの再生を描いた表題作をはじめ、北海道を舞台にした4つの短編秘話を収録。

〈「北海道ノンフィクション賞」受賞作品集〉(受賞順)
サンゴ礁の落日 …太平洋戦争秘話(第30回佳作)
版画に祈りを込めた男 …木版画家・阿部貞夫(第31回佳作)
至誠に生きた男 …実業家・新田長次郎(第32回準大賞)
りんご侍と呼ばれた開拓者 …旧会津藩士の軌跡(第33回大賞)

著者について

森山祐吾(もりやま・ゆうご)…北海道史研究家・ノンフィクション作家
1940年北海道オホーツク管内雄武町生まれ。中央大学卒。民間会社定年後、北海道史の研究を進める中で、時代に翻弄されながらも強い信念をもって生き抜いた人々や、意外な史実が多いことに気づく。以来、これら埋もれた歴史に光を当て、私塾「北の歴史塾」の講座や各所の講演を通して語り伝えている。
主な作品に「海の総合商社・北前船」「宗谷海峡を渡った侍たち」「北の大地を開いた薩摩人」「幕末の通詞・森山栄之助の活躍」「北海道占領をめぐる米ソの暗躍」「石川啄木の北海道時代」などがあるが、いずれも未刊行。

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中西出版
りんご侍と呼ばれた開拓者─汚名を返上した旧会津藩士の軌跡
http://nakanishi-shuppan.co.jp/archives/6080/



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■宗川茂友の帰郷

宗川家が帰国したのは、明治11年か12年と推測されています

次男の虎次の著書に

「明治11年、余は父に先だちて北海道より会津に帰り・・・」という記述がある

宗川家は、明治5年の黒川村畑作開墾帳から、抜群の実績をあげて、総取締役としても模範となっている

もし、役人として残れば、生活も安定し良い地位を得られたと思われます

それなのに、何故に帰郷したのかについて、前田氏は理由をあげています


第一として、宗川茂友の任務がいちおう終わった事です

北海道移住団の中隊頭としての任務は、樺太開拓使の保護扶助受けるように決定した時で解消した事

宗川茂友は、1団員として余市郡に入植し、改めて投票によって総取締役に選ばれた事から

当初の任務が終わった事が根拠としてあると言います


第二に考えられるのは、父茂弘の高齢にあるという

明治10年で、茂弘は満80歳となっています

誠忠無比と言われた茂弘の渡道は、ただいちずに旧主と1藩の謹慎が解かれるのを願っての事でした

その謹慎も解けています

毎朝先君の霊を遙拝するときに、浮かぶのは懐かしい故郷の山々であり、2代の君主の姿や旧知の人々の顔であったという

それは、孝心深い茂友に帰郷を決意させた一因では無いか


第三の理由は、一子の虎次は頭脳明敏で学問に優れていましたが、歩行が不自由であったという

北海道の開墾は簡単では無いと身をもって体験した茂友は、未開の北辺で虎次が農民として生きる事の不適を悟ったのではという


明治10年は、余市に入植して7年目となり開墾地が付与され各自の所有地となり、一段落しました

茂友に帰郷の決意をさせる節目だったのかも知れません


葛西富夫著「北の慟哭 : 会津・斗南藩の歴史」の中では、宗川茂友について

「総取締役の任にあった宗川熊四郎茂友さえ、余市を放棄して、さっさと会津に帰還した・・・」と書かれているのですが

理由なく、帰郷だけをクローズアップされては、開墾の努力も浮かばれません

会津に戻った茂友は、明治25年、会津尋常中学校の武芸教師に嘱託され、明治37年3月8日満74歳で生涯を閉じています


■次男「宗川虎次」

宗川家の家督は、茂友の次男の虎次に受け継がれます

虎次は、文久元年6月生まれ、頭脳明敏で余市日新舘・黒川郷学所に在学中も頭角を抜いていて、開拓使から褒賞を受けている

会津に戻った虎次は、後年になり「補修会津白虎隊19士伝」を著している

この本は、会津戊辰関係5大名著の一つに挙げられています

後に東京帝大総長の山川健次郎氏が補修を加えて大正15年に初版を出版しています


茂友の長男の虎松は戊辰当時17歳でした

まだ白虎隊編成前でしたが、数名の年長者と井深隊に入り越後方面に出陣します

9月1日に負傷し、同16日に戦病死しています

虎松が、陣中から父母に送った手紙には、戦死を覚悟し、白虎隊士に劣らない会津士魂をあらわす遺書と言われています


■白虎隊


余市黒川小学校の前身の余市尋常高等小学校時代、運動会では「白虎隊の剣舞」がありました

『霧のごとく乱れくる敵の弾丸ひき受けて、命を塵と戦いし37の勇少年、これぞ会津の落城のその名も聞こえし白虎隊』

ググってみますと

http://www.niks.or.jp/~ja0jac/

昭和04年(1929年) 唱歌 歌詞附
会津若松第一小学校
第一白虎少年団

※現在では「白虎隊」の歌と言えば、昭和25年(1952年)発売の古賀政男作曲の「白虎隊」一辺倒ですが、それ以前はこの「白虎隊の歌」が明治37年以来歌い継がれてきた。0535tomb1兄のコメントによると、終戦の昭和20年までは「白虎隊の歌」しかなかったとの事ですが、今ではこの歌を知る人は殆どなく忘れ去られた歌のようです。「会津若松第一小学校 第一白虎少年団」が今も存在しているのか解りませんし、どのような経緯でレコード吹き込みにいたったのかも解りませんが、この名曲を後世に残してくれた事に感謝いたします。

霰のごとくみだれくる 敵の弾丸ひきうけて
命を塵と戦ひし 三十七の勇少年
これぞ会津の落城に その名聞えし白虎隊

味方少なく敵多く 日は暮れはてて雨暗し
はやる勇気はたわまねど 疲れし身をばいかにせん
倒るる屍、流るる血 たのむ矢玉もつきはてぬ

残るはわづかに十六士 一たびあとに立ち帰り
主君の最後にあはばやと 飯盛山によぢのぼり
見れば早くも城落ちて 焔は天をこがしたり

臣子の務はこれまでぞ いでいさぎよく死すべしと
枕ならべてこころよく 刃に伏しゝ物語
傳へて今に美談とす 散りたる花のかんばしさ 
※この歌詩は明治37年の国定小学読本(高等科)に掲載されている。

白虎隊の歌 (会津若松第一小学校)

https://www.youtube.com/watch?v=-573mepowSU

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白虎隊 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/白虎隊

白虎隊(びゃっこたい)は、会津戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。中には志願して生年月日を改め15歳で出陣した者もいたほか、幼少組として13歳の少年も加わっていた。

幕末の会津藩が組織した部隊には他に玄武隊、朱雀隊、青龍隊などがある。名前の由来は、中国の伝説の神獣である「白虎」からである。

概要[編集]

慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いにより戊辰戦争が勃発した。会津藩は旧幕府勢力の中心と見なされ、新政府軍の仇敵となった。

白虎隊は本来は予備兵力であった。隊は士中隊、寄合隊、足軽隊から成り、充足数はおよそ340名程度とされた。なお、装備していた火器は旧式銃(ヤゲール銃、ゲベール銃の短銃身化、前装装条銃)のみであったとされる。これは火縄銃よりはましというレベルの装備であり、新政府軍の主力たる西南雄藩部隊の装備に対して著しく劣っていた(そもそも東北諸藩のほとんどは、旧式軍備の更新を行わないまま戊辰戦争に突入していた)。

会津藩では若松城(鶴ヶ城)を死守すべく、若松へと至る街道口に主力部隊を展開させて防備に努めたが、圧倒的な物量で迫る新政府軍に対しては劣勢は否めず、その上重要な進軍路であった十六橋を落とすことに失敗したという防衛戦略上の不備も重なり、本来城下防衛の任に当たるべく組織された白虎隊も、これを支援する形で前線へと進軍した。若年兵の投入が焼け石に水なのは誰もが承知のことであったが、老若男女が玉砕覚悟で臨む戦局にあっては是非もなく、白虎隊は各防衛拠点へと投入された。

しかし会津軍の劣勢は如何ともし難く、白虎隊も各所で苦戦を強いられ、最精鋭とされた士中隊も奮戦空しく撤退を余儀なくされた。このうち一番隊は藩主・松平容保護衛の任に当たったが、二番隊は戸ノ口原(戸ノ口原の戦い)で決定的打撃を受けて潰走し、戦死者も少なからずあり、8月23日に負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた(この間、庄田保鉄ら隊員数人が農家で草鞋を貰い受けている間にはぐれた)。このとき、ここから眺めた戦闘による市中火災の模様を目にし、結果総勢20名が自刃を決行し、唯一喉を突いた飯沼貞吉(のち貞雄と改名)のみが一命を取り留め、その他19名が死亡した。一般に白虎隊は若松城周辺の火災(もしくは城周辺から上がる湯気)を目にし落城したと誤認して悲観したとされているが、飯沼が生前に伝え残した手記『白虎隊顛末略記』(飯沼からの聞き書きに飯沼本人が朱を入れたもの)によれば、当時隊員らは鶴ヶ城に戻って敵と戦うことを望む者と、敵陣に斬り込んで玉砕を望む者とのあいだで意見がわかれ激論を交わし、いずれにせよ負け戦覚悟で行動したところで敵に捕まり生き恥をさらすことを望まなかった隊員らは、城が焼け落ちていないことを知りながらも、武士の本分を明らかにするために飯盛山で自刃を決行したという。

途中はぐれた庄田保鉄らはその後、鶴ヶ城に入城し、士中一番隊の生存者と共に白虎士中合同隊となって西本丸を守った。籠城戦は1か月続いたが、最終的に会津藩は降伏した。

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白虎士中二番隊[編集]

隊長
日向内記

小隊頭
山内弘人 
水野祐之進

半隊頭
佐藤駒之進 
原田克吉

隊士 

安達藤三郎※ 
池上新太郎※ 
石山虎之助※ 
井深茂太郎※ 
片峯祐之進 
笹原傳太郎 
篠沢虎之助 
庄田保鉄 
多賀谷彦四郎 
津川喜代美※ 
永瀬雄次※ 
江南哲夫
成瀬善四郎 
野村駒四郎※ 
原鋧三郎 
間瀬源七郎※ 
簗瀬勝三郎※ 
矢島八太郎 
有賀織之助※ 
石田和助※ 
伊東悌次郎※ 
伊藤俊彦※ 
伊東又八郎(伊藤又八)
飯沼貞吉※ 




白虎隊の所属だった人物に「佐藤駒之進」という名前があります

彼は戦死したと思われていましたが、明治2年9月の北海道移住第2次隊の小隊頭となって大阪丸で渡道していました

そして、余市に移住し黒川村第2班の村長となっています

佐藤駒之進が白虎隊の将校だった事を語った事は一度も無かったそうです

池上新太郎は、佐藤駒之進の姉の子供で甥という存在が、自分の隊員でありながら自決した事もあったのかも知れません

佐藤駒之進は、一切の公職にもつかず、沈黙のまま開墾に明け暮れ、大正2年1月7日76歳で没しています

駒之進の子孫は、今でも余市町でりんご栽培を続けています

昭和42年まで、会津若松では佐藤駒之進は戊辰戦争の死者とされていましたが

前出の「計良幸太郎」氏が、駒之進の晩年の写真を添えて白虎隊記念館長に伝え、訂正されたそうです


他にも、白虎隊からの余市移住者の方々(敬称略)

士中一番隊から「木村直人」「中山覚」

寄合一番隊から「島影幸次郎」二番隊「金子新六」「吉田豊記」「鈴木平助」

足軽隊から「本名信吾」


将校としての寄合一番隊小隊頭が「在竹四郎太」氏です



次回は、ケプロンと余市に関連したまとめです

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戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その1
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戊辰150周年~余市在住「会津藩士物語」~余市豆本11より~ その2
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