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りんご物語 -----25-----日本のりんご栽培「会津藩」の侍たちと献上りんご

りんご物語・・・25・・・日本のりんご栽培「会津藩」の侍たちと献上りんご

2013年の大河ドラマ「八重の桜」で注目された会津藩の物語。
余市町と会津藩は深い係わり合いがあります。
会津藩の人々が余市町を開拓しました。

開拓の歴史を刻む開村記念碑は、33番目の余市町指定文化財です。
戊辰戦争で新政府軍に敗れた会津藩士は、1868(明治2)年に北海道に出発。
明治4年春から余市へ入植。
記念碑傍には「侍長屋」「寺子屋」後が昭和の中期まで残っていました。

山田村の会津藩士の赤羽源八氏が「緋の衣(19号)」を、金子安蔵氏が「国光(49号)」として、
日本で始めてのりんごを実らせました。
金子安蔵氏は、りんご栽培の職人のドイツ人「ベーマー」の生徒。
日本初の国光りんごが実った時、彼はまだ24歳の青年でした。

明治37年から献上りんごを作られていたのは「高山吉五郎」氏。
高山吉五郎さんは、明治16年に渡道してリンゴ栽培に励み、
明治30年代にはウラジオストックへのリンゴ輸出の販路を開き、北大余市果樹園の誘致にも尽力しました。
山田町にある北海道大学付属余市果樹園(以下、余市果樹園)は、大正元(1912)年、東北帝国大学農科大学(北海道大学の前身)により、果樹栽培の研究と教育を行なうことを目的として設立されました。現在は北大北方生物圏フィールド科学センター耕地圏ステーションの、果樹園芸に関する研究農場に位置付けられています。その誘致にあたっては地元山田町の高山吉五郎氏が有志とともに用地の獲得に尽力しました。
http://www.town.yoichi.hokkaido.jp/anoutline/yoichistory/sono25/hokudaikazyuen001.html

yoshida-hibokoromo
吉田観光農園さんから2013年に戴いた「緋の衣」です。
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