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「マッサン」に出て来た「会津藩士物語」#マッサン

ついに、朝のドラマ「マッサン」では、余市に工場が完成しましたね

ドラマにも出て来た、余市と会津藩士とりんごの関係について
余市豆本に詳しいのを見つけました
「会津藩士物語」 前田克己著
2015-NEC_1575.jpg
会津藩士が、北海道(蝦夷)地に来たいきさつは、「八重の桜」や白虎隊で有名な「鶴が城」の落城が始まりで、
西軍は、東京で謹慎をさせていましたが、新政府にとっては脅威だったのでしょう。
信州に送る予定が東京、越後に分散されました。各地で大人数を収容できず、
新政府にとって「蝦夷地」の開拓は悲願でしたから、政府はまだまだ危険要素の会津藩士をここに送る事になります。
更に、蝦夷地に移住する者は減罪となります。
身動きが取れない生活よりも自由を求めて、会津藩士は北海道にやって来ました。

余市に初めて移住して来た人たちは、小樽に入った人たちの中で北海道開拓使に門前払いをされた人たちでした。
仮の住まいという事で余市を与えられます。
明治2年に蝦夷地に入ってから1年3ヶ月が過ぎていました。
明治6年には「扶助」が切れ、食料も自給しなければなりません。


移住した会津藩士たちは、開拓使の指導も無いまま、手探りで開墾し、見たことも無い「りんご」の苗を植えます。
赤羽源八が「緋の衣」を。金子安蔵が「国光」を、日本で始めて栽培し、日本のりんご発祥の地となりました。
偶然とか、ほっておいたのが実ったと思われましたが、
金子安蔵氏は開拓使の「農業現術生」としてベーマーに師事した一人でもありました。
果樹栽培を学んだ人が、苗木をほって置いたはずもありません。
会津の中の人たちには、余市のりんご栽培の功労者の方々がたくさんいます。

りんご栽培に尽力した議員の「川俣友次郎」氏、開拓使に勤めた後にりんご栽培を推奨した「東蔵太」氏、
余市の農会の創立者「三宅権八郎」氏、りんごの販売拡張に貢献し組合を作った「小栗富蔵」氏
余市りんごをウラジオストックに輸出した「水野音吉」氏、
病害虫防除に功労した「伊藤甚六・百瀬清三郎・石山亀次郎・黒河内辰巳」氏。
みんな会津の人たちでした。

マッサンで語られた会津藩士の話は、史実に基づいた話ですよね。

2015-NEC_1413.jpg
ニッカの駐車場側には中央にポットスチルがありますね。

ポットスチル型のスーパーニッカとライターを発見!
2015-NEC_1431.jpg
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