スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
Comment (-)

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その10(終)

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その1

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その2

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その3

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その4

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その5

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その6

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その7

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その8

「りんごの歩んだ道」―明治から現代へ、世界の“ふじ”が生まれるまで 読後その9


まとめです

りんご(萃果)(林檎)は、3つのルートで日本に入って来ました

①中国→朝鮮→日本 これが「和林檎」です鎌倉中期頃

②ポルトガル→長崎(耶蘇教)→伊達政宗 これはほぼ原産地と同じ原種です

③ヨーロッパ→フランス・アメリカ→日本 これが「萃果」 明治初めで改良種です(フランスでは「pomme」アメリカでは「apple」)

栽培過程で分かったのは

①種子から発芽したりんごは、元のりんごよりも質が落ちる事

②切られた枝から発芽したりんごは、元のりんごと同じ性質を持つ事

③ごくまれに、種子から発芽したりんごの中に、形が大きくなったり、甘くなったりする物がある事

-----------------------------------------------------

日本に適した品種苗を選び、りんご栽培の技術を教えてくれたのは、アメリカ人の農業教師「ルイス・べーマー」氏

0B036310000000000.jpg


りんご栽培は、開拓使が導入し、北海道でまず広がり、果樹栽培がお金を稼ぐ仕事と認定された

りんご栽培は「東北地方」の失業武士の対策としても使われ、各地に広がっていった

鉄道が運行を始めると蒸気機関車が輸送の中心となり、青森県、岩手県が栽培の中心となって行った

青森と岩手が、りんごの産地として名前が大きくなって行ったのは、交通網と官民両方の努力の成果

-------------------------------------------------------

りんご栽培では、病害虫との戦いで努力と工夫をして来たのは青森県で、ボルドー液を粉化する事で効果があった

地域ごとの取り組みによって、りんご栽培には、大きな差が出ていった



苗の導入直後から、各地で、りんごの品種別の特性をつかみ、理想のりんごを交配して試験していた

岩手県盛岡市の農林省園芸試験場東北支場(現:果樹研究所りんご研究所)で、総数13,775本の中から「ふじ」は生まれた

昭和14年に「国光(母)」×「デリシャス(父)」の組み合わせの実生で交配し、昭和22~26年頃に結実、選抜試験を経て、昭和30(1955)年の秋、やっと納得のいく果実が結実


多果汁、甘酸適和、濃厚な味、香り良好、貯蔵良好との評価で「東北7号」となり、その後「農林1号の『ふじ』」として登録されました

交配から23年、多くの研究者の理想となる夢のりんごの誕生しました


多くの品種の中で、日本のりんご栽培技術の結晶の代表品種が「ふじ」だったわけです

すでに、世界22か国でふじは栽培がされていて、ふじは、世界市場で最も成功したりんごと言われています


昭和32(1957)年頃、消費者ニーズが変化し始め、国光と紅玉が中心だった生産に変化が出始めます

DSC_1523.jpg


ここで、次世代りんごをデリシャス系に行くか、国光に代わる品種への模索が始まっていました

選抜試験で良好だった「ロ-628」(国光×デリシャス)が注目される事になりました

この品種に一番に注目し、次世代りんごだと確信した研究者が、農林省園芸試験場東北支場(青森県藤崎町)の支場長の「森英男」氏です

国光を親とする組み合わせ6組、層実生数2241個体、その中で、国光に似ていたのは2個体だけだったそうです

いかに、その確率が低かったのかが分かりますね

「東北7号」と名付けられ、栽培が広がり、東京千疋屋でも試食会が開かれたり、評判が知れ渡ります

そして、品種名となります

藤崎町から「藤」、「藤」なら花みたいだから、ひらがなの「ふじ」となり

日本一のりんごだから富士山にもあやかって「ふじ」、世界中の消費者が、富士山=日本と認識してくれる


まさに「言霊(ことだま)」だったんですよね

日本人的過ぎる発想ですよね、言葉通りに実現してしまうのですから

やがて、国光、デリシャス時代を経て、ふじの時代になって行きました

DSC_1524.jpg
DSC_1525.jpg
DSC_1526.jpg
DSC_1527.jpg


--------------------------------------------------------

今でも、りんご栽培には、多くの手間がかかっています

まだ雪の残る時期に枝を整える「整枝」「剪定(せんてい)」する事から始まり

春には肥料を施し、防除、殺菌、殺虫、摘花、摘果、袋かけ、袋外し、葉摘(はつみ)、玉回し、収穫、選別、貯蔵、出荷です

そうやって、多くの人の手によって、安全で美味しい果実は、消費者に届けられるのです

りんごは、良く見ると、一個一個、全部違う顔をしているんですよ

りんご栽培の歴史を振り返ってみて、日本のものつくりが何なのかが、良く理解できました

理想を目指す、諦めない、努力する、年月を超えても引き継ぐ人たちがいて、やがて奇跡が生まれる

DSC_1349.jpg

りんご栽培を極めた、篤志家の皆さん、輸入し配布した開拓使の方々、栽培を教えて広めて下さった方々、

防除や手入れを確立した方々、新しい理想のりんご作りを長い月日に渡って努力され結実に尽力された皆さまに感謝いたします

そして、この本の著者の「富士田金輔」氏に敬意を贈ります
DSC_1528.jpg


長くなりましたけど、「りんごの歩んだ道」の感想でした!


-----------------------------------------------------------

畑も雪解けとなり、耕作、育苗と、忙しい毎日が始まりました

雪が少なかった割には、雪解けが遅れています


天候、気温、日照、降雨、ちょうど良いサイクルに恵まれますように、祈って!


スポンサーサイト

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。